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教えてあげる
「ね、せんせ。どうして人を殺しちゃいけないのかな?」
不意にそう呟いたのは、病弱で保健室を拠り所にしている一人の生徒だった。僕は書類にボールペンを走らせる手を止め、白いベッドの上で枕を抱えているその生徒へと視線を移す。
「霧人君。あまり物騒なことを言うもんじゃありませんよ」
「だって、」
「そんなことは法律で決まっている当たり前のことなんです」
「法律? 法律で決まってるから人を殺しちゃいけないって言うの? それじゃあ、なんでそんな法律が出来たの?」
「それは、」
「だって、おかしい。人は平気で鳥や動物を殺すけど、人だけは殺しちゃいけないなんておかしよ」
霧人は枕を胸囲で抱いたままベッドへ仰向けになった。今まで僕へと向けられていた視線がぐるりと天井に向けられる。飾り気のない、所々少し黄ばんだ白色の天井が彼の視界を満たした。
「霧人君は知りたいの?」
「うん。知りたい」
僕へと向けられたはずの声が天井にぶつかって砕ける。僕の耳へと届いたのは、一人の少年がふと口にした生への疑問だった。
「せんせ、教えてよ」
十四歳という歳のわりには、妙に落ち着き払った雰囲気の声。だが、その声の中にも少年らしさが垣間見える。衝動的に僕を突き動かすのは、その彼特有の不思議な声なのだろうか。
僕は無意識に椅子から立ち上がり、彼のいるベッドへと足を進めた。ベッドに仰向けになった際に捲れてしまったであろう彼の制服(一般的な白いワイシャツ)からは彼の腹が覗いている。
「制服はちゃんと着なさいって言ったでしょう」
「だって面倒くさい」
そう言って霧人はむくりと起き上がった。粗野にベッドに寝転がってしまったために、彼の真っ直ぐ整っていた黒髪が四方へ毛先を遊ばせている。
「それで、教えて欲しいって?」
「うん。教えて」
「人には、感情があるからなんじゃないかなぁ。って先生は思うんだ」
「それだけ?」
「それだけ」
「なんかつまんない」
「仕方ないじゃないか。先生にだってわからない」
「じゃあ、せんせ。せんせが僕のこと殺してよ。そうすればハッキリするんじゃない?」
そんなこと言うなよ、霧人。先生泣いちゃうよ? それでもいいなら先生が霧人の首を絞めてあげる。
鳥に成れなかった少女
鳥は空の偉大さを知って尚、空を畏れるのでしょうか。
病室の窓から見える空は相変わらず青くて、そこに浮かぶ雲を見れば手を伸ばせば届きそうなほど近くに浮いていて、それが単なる水蒸気の塊なんだと知りつつも手を伸ばせずにはいれない自分がいる。
自分でも、幾ら愚かなことかと思う。だが、こう何年も病室で寝たきりになっていては頭がおかしくなってくることも無理はない。今日が定期検査の日ということも相俟って、私の頭はよりいっそうイカれ始めているのだと感じた。
「大空さん。大空飛鳥(おおぞら あすか)さん。そろそろ検査の時間ですよ」
看護婦の私を呼ぶ声がして、私は顔を顰めた。“大空飛鳥”なんて名前は嫌い。大空を飛ぶ鳥なんて、今の自分にはどれほど縁遠いものか。考えてみるだけで鳥肌が立った。今の私は“大空を飛ぶ鳥”なんかじゃない。“鳥籠に閉じ込められた哀れな鳥”なのだ。
「何時になったら、飛びたてるのかな」
見渡せば視界一面に広がる白い景色が、私のセカイ。何時しか色を喪ってしまった、哀れなセカイ。今や、廻る世界ですら鳥籠と等しいように、私の身体に自由はない。あんなに飛びたいと願っていた大空が、今はとても恐い。
何時しか私は飛び立つための羽を何処かで喪ってしまった。
棄てられたわたくし
棄てられたんです。ええ、棄てられたんですよ。身体も心もぼろぼろに引き裂かれて棄てられたんです。今ならば神様でも呪えそうな気がしますよ。ああ、なんと哀れな私。
「一人でぶつぶつ言うの止めてくれない? すげぇ気味悪いんだけど」
背後で聞こえた声にふと視線をそちらへ移すと、そこには見覚えのない、なんとも整った顔立ちをされた殿方が立っていました。ああ、なんです。その人を蔑むような視線は。私は今、哀しみのどん底にいるんです。少しぐらい察して下さいよ。哀しむ時ぐらいは一人で哀しみたいんですって。
「すみません。見てわかりませんか。泣いてるんですよ? 哀しんでるんです。普通はそっとしておくものでしょう?」
「……そんなこと言われたって、屋上は俺のサボリ場所なんでね。そんなところで啜り泣かれてもこっちが困るんだよ」
まぁ、なんと! デリカシーの欠片も無い殿方がいたものですね! そんなこと言って私の事を邪険にするなんて、呪いますよ? 今の私になら神様だって呪えるのですから。
……なんてこと言える訳も無く。あの殿方の、いかにも鋭い目つきに気圧された私はそんなことを心中で呟きながら、さっきから頬を伝っているその生暖かくてしょっぱい味のする液体をそっと制服の袖で拭います。
言いたいことも言えないなんて、なんて私は小心者なのでしょう。本当は、悔しいんですよ。棄てられた挙句に慰めてくれる方もいないなんて、本当に自分が哀れで仕方がありませんよ。ああ、いっそのこと自分の身を呪ってやりましょうか。
「……お前さ、そんなところで一人で泣いてて楽しいわけ?」
「なっ……だから私は今哀しみのどん底に――」
出かけた言葉は、見知らぬ体温によって阻まれました。一瞬何が起きたのかわかりませんでしたが、次の瞬間には自分があの殿方に抱きしめられていることを悟りました。
これは、何かの夢でしょうか?
「お前、誰かに頼るとかしねぇの?」
私を腕の中に収めたまま彼はさっきとは打って変わった、柔らかな声音でそう言いました。突然抱きしめられたことと、彼の先ほどとは違う、柔らかで優しい声に、私は困惑します。
「……頼れる相手なんて、いないんです。私には心から打ち解けられる親友もいませんし、一人っ子なので相談できるような姉や兄もいません。ずっとずっと、独りぼっちなんです」
「それ、お前の思い込みなんじゃねぇの?」
そう言われれば、私は彼の胸板に顔を押し付けられ、更に強く抱きしめられます。何というのでしょうか、強引だけれども優しいというか……。兎に角訳がわからないんです。安心します。
「これからは、俺がお前の心の拠り所になってやる」
棄てられたんです。心も身体もぼろぼろに引き裂かれて棄てられたんです。
けれど、こんなに傷付いてぼろぼろになった私のことを、あなたの手はゴミ箱から救い出してくださったのです。
とある病室でのエレジィ
「私ね、明日には死んじゃうんだ」
青白い顔をした少女、静花は、真っ白な背景の中でそう言って笑っていた。“どうしてそんなことをそんなに笑って言うの?”そんな言葉が出る前に静花のその屈託の無い笑顔を見ているのがどうにも辛くなって、なんとかいい話題転換になるようなものはないかと病室を見回すと、彼女の横たわるベッドの横に生けてあるいかにも元気の無い花が僕の視界の端に映った。
「花、萎れてる。茎の端を切ってあげなきゃ」
僕はそう言って何でもないふりの顔を装いながら、持参していた筆箱の中から青色のプラスチックの柄の鋏を取り出し、その萎れかけの花の茎を数センチ切り落とした。彼女は僕のその行動を、ビー玉みたいな目を更に丸くしながらこれまた屈託の無い表情で見ていた。
「花はそれで元気になってくれるの?」
「あ、うん。今ので悪くなった部分が切り落とされたから、きっと元気になる」
作業を終えた花を元の花瓶に戻しながらそう言った静花の方へと視線を戻すと、静花から先ほどの表情が消え、いやに真剣な目つきで僕を見つめていた。
「ね、こーちゃん。その花のように私の足を切り落としたら、私は元気になれるのかな?」
驚いて言葉が出なかった。つい先ほどまでは屈託の無い表情で僕を見つめていた彼女が、急にそんなことを言い出すのだ。驚くのと同時に、急に彼女の存在が儚いもののように思えて、僕は思わず彼女のその細く折れそうな肢体を折れんばかりに抱きしめていた。
「……こーちゃん。私、折れちゃう」
「折れてしまえ。静花のばか」
彼女が患っているのは足なんかじゃないから、きっとその彼女の健康な足を切り落としたところで彼女の病が治ることは無いだろう。そう考えると急に彼女がこの世界から消えてしまうのが恐くなって、腕の中でか細い声を出す彼女をそのまま抱きしめ殺してしまいたくなった。
「こーちゃん。どうしたの? 変だよ、こーちゃん」
聞いてる? と、静花は僕の腕の中でまたか細い声を出した。うん、聞いてる。君の言うことなら何でも聞いてあげるから、どうかそんな哀しいことを言わないで。
「ねぇ、静花。静花が望むなら、僕が静花のその綺麗な足を切り落としてあげる。その代わりにね……」
静花の切り落とした足と、静花の全てを僕にちょうだい?
青白い顔をした少女、静花は、真っ白な背景の中でそう言って笑っていた。“どうしてそんなことをそんなに笑って言うの?”そんな言葉が出る前に静花のその屈託の無い笑顔を見ているのがどうにも辛くなって、なんとかいい話題転換になるようなものはないかと病室を見回すと、彼女の横たわるベッドの横に生けてあるいかにも元気の無い花が僕の視界の端に映った。
「花、萎れてる。茎の端を切ってあげなきゃ」
僕はそう言って何でもないふりの顔を装いながら、持参していた筆箱の中から青色のプラスチックの柄の鋏を取り出し、その萎れかけの花の茎を数センチ切り落とした。彼女は僕のその行動を、ビー玉みたいな目を更に丸くしながらこれまた屈託の無い表情で見ていた。
「花はそれで元気になってくれるの?」
「あ、うん。今ので悪くなった部分が切り落とされたから、きっと元気になる」
作業を終えた花を元の花瓶に戻しながらそう言った静花の方へと視線を戻すと、静花から先ほどの表情が消え、いやに真剣な目つきで僕を見つめていた。
「ね、こーちゃん。その花のように私の足を切り落としたら、私は元気になれるのかな?」
驚いて言葉が出なかった。つい先ほどまでは屈託の無い表情で僕を見つめていた彼女が、急にそんなことを言い出すのだ。驚くのと同時に、急に彼女の存在が儚いもののように思えて、僕は思わず彼女のその細く折れそうな肢体を折れんばかりに抱きしめていた。
「……こーちゃん。私、折れちゃう」
「折れてしまえ。静花のばか」
彼女が患っているのは足なんかじゃないから、きっとその彼女の健康な足を切り落としたところで彼女の病が治ることは無いだろう。そう考えると急に彼女がこの世界から消えてしまうのが恐くなって、腕の中でか細い声を出す彼女をそのまま抱きしめ殺してしまいたくなった。
「こーちゃん。どうしたの? 変だよ、こーちゃん」
聞いてる? と、静花は僕の腕の中でまたか細い声を出した。うん、聞いてる。君の言うことなら何でも聞いてあげるから、どうかそんな哀しいことを言わないで。
「ねぇ、静花。静花が望むなら、僕が静花のその綺麗な足を切り落としてあげる。その代わりにね……」
静花の切り落とした足と、静花の全てを僕にちょうだい?
私と人形師
その屋敷は人通りのない、寂れた郊外にあった。この屋敷に長年、彼は一人暮らしをしているという。彼は腕のある人形師で、それなりに世界に名は知れていた。だが、彼の顔を知るものは、誰一人と居なかったという。――今の、私を除いては。
彼の名は、Shwel=Leazen(シュウェル=リーゼン)。こんな名をしているが、列記とした日本人である。この名前が偽名であるか、本名であるかは私は知らない。彼はこの名以外は、年齢も、出身も、私に教えてくれなかった。
「ねぇ。あなたは本当にShwel=Leazenなの?」
「君はソレをしってどうするつもりだい?」
「なんでもない。ただ、知りたいだけよ」
ははっ、と彼は笑った。そして、私の頭を撫でた。また、誤魔化されてしまったと、私は頬を膨らませた。
「今は、知る必要なんてないよ。君はこうして、僕の側にいてくれればいい」
そういって、彼は私の手の甲にくちづけを落とす。性分なのか、彼はいつも臭いような、甘い台詞を私に囁いてくる。それを気障だとは感じつつ、嫌いになれない私がいる。
私には、此処へ来る以前の記憶がない。気が付いたときには、この屋敷の前にいた。幸か、不幸か。はたまた運命のいたずらか。この屋敷に住んでいたのが、かの有名な人形師、Shwel=Leazenだったのだ。
彼は何も言わずに私を屋敷に住まわせてくれた。何故ここに居たのだとか、両親はどうしているだとか、そういったことを彼は一切私には尋ねてこなかった。それ故に、彼は自分のことも名前以外は一切教えてくれないのだろう。
「ねぇ。あなたは私だけを見ていてくれる?」
「さぁ。わからないな」
"わからない"
あなたはいつだってそうやって笑うのね。曖昧で、だけど一番あなたらしい。





